参加者杉村さん
人生には必ず変化が訪れるもの
本人が望まずともやってくる変化、自らが望み起こす変化、気が付けば意識せずとも変化していたものなど様々なものがあるように思う。
その一つがここだ。
私の場合は今回一人で田舎暮らしをし、色々な人に沢山助けられたり、関わりを持つことで全く普段の生活とは異なる、でも何とかなる、暮らしてはいける、そんな生活をしてみることでしか得られなかったものがある気がしています。
その過中にいる時には今までの環境で与えられてきた人間関係も生かされたり助けられていることに気付かされたりもします。
例えば仕事として、調理補助をしていた経験があるとそこから上手い下手は問わず料理が好きなんだなと思って貰えて、カフェのお手伝いを仕事の一部でしてみないかと声を掛けて頂けたりだとか。
大根や人参の皮を切っておいたものをお借りていたお家の日当たりの良い所へ干していたら『自炊に使えるお野菜だよ』と隣に住む大家さんが分けて下さり、そのお礼に頂いた野菜を使っておかずを自分だけでなく大家さんの分も作って渡すとうわべではなく心から喜んで貰えたりとか。
環境を変えて田舎での生活を始めてみると、自分では何とも思っていなかったことで喜ばれたり、何もないなぁと思っていたのに周りの関わる人が気付いて、『こんなこと良かったらしてみない?』と声を掛けて頂ける事がとても多かったです。
周りの方を見ていても普段の何でもないようなやり取りの中から新しいアイディアや仕事にも繋がる『何か』それも楽しい事が生まれている感じがしたり。
世間話が、暮らしの情報交換になっていたり。
お一人一人の表情がとても豊かで、協力し合う生き方があるように見えました。
そこに魅せられて、そんな生き方をするにはどうしたら良いのか現地で尋ねた事があったけれど、住む人にとってはただの日常で。田舎だから特別だという事ではなく、場所や環境は関係無く問題は他と変わらず常に沢山あるのだという声も聞いたり、実際に体感しました。
ただそうした事を伺ったり知ったりする為にも、人見知りな自分も日常では関わったことのない方々と会話のやり取りをする事が増えたりもして、日頃は考えもしないし気付きもしない事で一喜一憂したり学ぶことも多い生活になっていました。
自分でも目的が何なのかはっきりしていなくても、現地では見知らぬ者が(『よそ者の姉ちゃん』と言われショックだった事もあるけどそれが事実笑)
田舎で暮らすということがとても珍しく、周囲の方が楽しい話も交えながら率先して気に掛けて下さっていて、ある意味、ちょこっと一目を置かれてしまう生活になっていて。
それが面倒くさいようでいて、とても温かかった。
そこに行かなければ出会えなかった『人との関わり』を築けたり、日々体感出来た事がずっと新鮮でした。
こんな風に今文章を書いていることも、行く前には考えられないことでした。
まず行く事が出来るのかなぁという問題もありました。迷っていたから。
田舎へ行って何かを得たいけど、自然や人が温かい感じの暮らしをしてみたいけど、何もそれ以上に「これがしたい」といったものが無いままで。
でも、行くと決めた際に背中を優しく押して頂けたり、もうその時点で周りの人に助けられ、応援されていて。
「とにかく行ってみなければ何も始まらない」決めたからには腰が重くても、ダメダメな自分でもそれで大丈夫だから行ってみる、やってみる。
そう思えたのも沢山のサポートを受けたり、それまでの人間関係とこれから、今この瞬間にも開かれている何かが得られる確信のようなものがその瞬間に繋がっていったからだと感じています。
自分から何かを発信したり、伝える、表現をするなんて一番苦手なはずのことだったのに、これも周囲の方からの「やってみない?」の一声に始まっていました。
何故かいつの間にか、目の前に知り合ったばかりなのに温かく迎えてくれたり、やってみると喜んでくれる人達がいる。
気付けば事務所へ行き、PCを借りて使い方を教わりながら体験したことを書く事が「今日の仕事」になっていました。
そしてそれが大丈夫なのかな?と自信がなくても「もうこんなに書いたの?」と完成した物を喜んで頂けたり、楽しみにして貰えたりすると嬉しくて。
後日文章がインターネット上でアップされ、仕事のイベントがあった際には全く面識のない人から突然、「読んだよ~あなたが書いたのね。読みやすいし情景がよく伝わってきたわ」と声を掛けて頂けたり。
また、「これは違うから直して欲しい」と電話を頂いたりもしたので急いで直してから謝罪も兼ねて連絡をすると「ありがとう、良かったわ」と胸を降ろされたりもする。
こんな経験が今まであったかな、嬉しいな、と自然にお仕事をさせて頂く中で思えていました。本当に感謝だし、有り難かったです。
誰しも幼い頃には親や、周りの人から「これが得意なんだね」「こんな事が出来るんだね」と発見して貰え喜んだりした経験があったのではないかと想像していますが、大人になった今はそうはいかない現実がある。
そのように自分には何も無いと肩を落としたり、ただ働いているように感じている人は少なくはないように感じるし、自分もどこかそうであったりそうなっていきそうな不安があったりしても納得させて生きていく。でもそれが上手く出来ない辛さが常にありました。
だけどそんな自分でも大丈夫なんだと、出来ることは沢山あるんだと普段とは違う生活やお仕事をさせて頂いたり、周りの関わりを持てた方々のお陰で気付かされました。
(それは幼子のようなまっさらな感覚で、今までいなかった自分に会える体験)
それでも疲れたら、しっかり休めば良い。
そのような事を頭だけで理解するのではなく、
身体と心で体感出来た事で帰ってきてからも徐々に、少しずつそう思えたり分かるようになるきっかけを私の場合は与えられました。
現地から帰ってきてからも葛藤することはあるけれど、一人じゃないのだなと思えるようになってきて。生き易くなりました。
上手く表現出来ないけれどこんな暮らしやこんな仕事もある、自分も行けるし、やれる事がある、そういう選択肢や考え方が行った事で変わり、増えていました。
今目の前にある問題に向かわなければならないけど心が折れてしまいそうな時にも、「大丈夫だ」と感じられる経験が一つでも増えたことで大変でも前を向こうだとか、
短い期間にも沢山の人に支えられて、一から築かれた関係が思い出される度に、心強さを感じられたりしています。
幸せな時には思いきり幸せを感じてそれをどんな形やタイミングでも良いから発信して、皆で幸せになれたら良いんだなと思えたり。
自然に囲まれて誰からも責められることもなくゆったりとした時間を過ごせたことで、新しい事が始められる勇気が貰えたなと、
沢山の人と無理することなく生活の中で出会え、関われる機会が与えられた事が、今の自分に生きているなと感じて生活しています。
関東から鹿児島に行き、観光は、、というより結果的に観光できた!という方がピッタリかもしれません。
お休みを満喫することが出来たのは常に「どうしてるから?」「そっちの様子はどう?」「時間できたら迎えに行くし顔見るね~」と聞いてくださっていたまま、本当に入佐さんが家まで来てくださったためでした。
一緒に霧島神宮へ行って、錦江湾を望む場所で夕日を眺めたり、ミルフィーユとんかつを食べに黒豚の館へ向かったり。
また別の日には宮崎市内の高台にある平和台公園、はにわ公園の平和の塔へ登ったり、きれいな英国式庭園や(有名だということを後程宮崎出身の友から聞けた)フローランテへ案内していただいて、寒かったので夕食は面やとまとでともにしたり、一人単独で来ていたら回ることも訪れる機会すらないまま、鹿児島にいる期間が終わってしまったかもしれない場所へ沢山連れて行っていただけました。
入佐さんの一押しパワースポット、川と川の間にある温泉については、、直接ご本人に聞いて頂きたい(笑)
不思議なもの静けさ、澄んだ空気の漂う場所で心身共に現れるそんな秘境の地という印象。
普段の日常ではかかわる機会がない人達や場所、生活をしてみることで、一つの場所や世界にとどまっていると、築き上げられるもがあれば、停滞してしまったり、見えなくなってしまっていたものが見えてるようになるきっかけのようなものが得られる、そんな感覚を得ています。
どのようなとき、状況においても、身一つでいつでも訪れられる場所が増えるという体験は決し手無駄にならないので、田舎暮らしでなくっとも何か何かのきっかけがほしかったり、何かを変えたいと思う方にはぜひTURNING入佐さんを頼ってみてほしい。